インフルエンス ―仕掛けられた選択― 3話

ビジネス心理学

🔹前書き:この物語があなたに届けたいもの

「限定」「最後の一個」「在庫僅少」——これらの言葉に、あなたはどれほど心を動かされたことがあるでしょうか?

それは“希少性”という心理のトリガー。

この連載シリーズ「インフルエンス ―仕掛けられた選択―」では、ロバート・B・チャルディーニの名著『影響力の武器』で紹介された6つの心理原則を、リアルなビジネスストーリーを通して学んでいきます。

第3話のテーマは【希少性】―― “手に入らないかもしれない”という焦りが、人をどのように動かすのか。

 

第3話:最後の一個

―それは恐怖か、誠実さか―

赤坂の空気が冷え込みはじめた晩秋の午後。渡辺拓也は、倉庫の片隅に積まれた段ボールの山をにらんでいた。

「在庫、ありすぎだろ……」

「……すみません」

斎藤美咲が申し訳なさそうに答える。白いニットの袖を握りしめるその手が、かすかに震えていた。

「本部から“多めに仕入れとけ”って言われて、つい……」

「つい、じゃ済まないだろ……」

N-BASE赤坂店の人気は、確かに上昇していた。だが、それはあくまで“演出”の効果。SNSで話題になったPOPや並べ方、そして雰囲気作り。実際に売れている商品は一部に限られており、それ以外は倉庫の肥やしと化していた。

「このままだと、年末までに赤字だな……」

渡辺が独りごちたときだった。

その夜、2人きりの閉店作業の後、美咲がぽつりと言った。

「……逆に、商品を減らしてみたらどうですか?」

「減らす?」

「数が少ないって思わせたほうが、なんか価値ある気がするじゃないですか。“最後の一個”って、つい買いたくなるし」

渡辺は、その言葉にひっかかるものを感じた。

翌日、さっそく陳列を変更した。「在庫限り」「本日入荷分で終了」——そんなPOPを付けた限定コーナーを作り、倉庫から出した在庫を逆に“隠す”ことにした。

驚くべきことに、売上が跳ね上がった。昼過ぎには、POPを貼った棚はすべて空になっていた。

「……人って、あるって言われると見向きもしないのに、“なくなりそう”って言われると、なぜか手が伸びるんですね」

美咲がつぶやいた。

渡辺は、棚の前でその言葉を噛みしめていた。

――そうだ、これは“演出”なんだ。

しかし、効果が出たことで、店舗全体がその流れに乗り始めた。別のスタッフが勝手に同様のPOPを増やし、在庫の山を見て「じゃあこっちも“最後の一個”にしてしまおう」と安易に判断する者まで現れた。

その週末、問題は起きた。

ある若い女性客が、レジで“最後の一個”と書かれた商品を購入した直後、裏口から同じ商品を補充しているスタッフを目撃してしまったのだ。

「ねぇ、これって“最後の一個”じゃなかったの?」

SNSに投稿されたその写真と怒りの言葉が、たちまち拡散された。

「騙された」「ステマじゃないのか」「演出にも限度がある」

ネットの声は容赦なかった。コメント欄は炎上し、N-BASE赤坂店の評価は急落。店舗のGoogleレビューも軒並み星1が並び、常連客まで足が遠のき始めた。

社内からも注意が入り、渡辺は対応に追われた。謝罪文、説明資料、内部ミーティング。売上は落ち着くどころか、日に日に減っていった。

その夜、また羽田から連絡が来た。

「君の“仕掛け”は見事だった。でも、“希少性”という武器は、正しく使わなきゃすぐに牙を剥く」

「……やっぱり、やりすぎだったんですかね」

「いや、演出は必要だ。ただ、“最後の一個”を装って“在庫は山ほどある”なら、それは嘘だ。嘘は、信用を失う」

羽田の声は、あくまで静かだった。

「君の売り場には、商品の価値じゃなく、“消えるかもしれない”という恐れだけが並んでいた。買う人の心を動かすのは、不安じゃなく、納得であるべきだ」

翌日、渡辺は“最後の一個”のPOPをすべて撤去した。

代わりに「入荷限定・次回未定」という札を手書きで貼った。正直に、でも魅力的に。

美咲が苦笑した。

「……正直すぎて、売れなくなりそう」

「でも、それで売れたら、本当に“価値”があったってことだろ?」

その週の売上は確かに下がった。だが、レビューにはこんな声が並び始めた。

「丁寧な説明に好感」「正直な店だと感じた」「安心して買い物ができる」

1か月後、棚に並ぶ商品の回転数は劇的に改善したわけではなかったが、来店する客の質が変わっていた。リピーターが増え、客単価が微増し、口コミで新たな客が足を運ぶようになった。

渡辺は、胸の奥に温かいものを感じていた。

“最後の一個”が人を動かすのは事実。 だが、その“一個”に誠実さが宿ってこそ、人の心を本当に動かすのだ。

📘【学びのまとめ】——「希少性」

  • 人は「残り少ないもの」「手に入りにくいもの」に価値を感じやすい。

  • “最後の一個”や“限定”といった言葉は、行動を促す強力なトリガー。

  • だが、その希少性が“虚偽”であれば、信頼を一瞬で失う。

  • 信頼を前提とした“本当の希少性”こそ、持続的な魅力となる。


✅【行動チェックリスト】

チェック項目 状況
[ ] 商品やサービスに“希少性”を持たせる工夫をしているか?
[ ] “今だけ” “残りわずか”といった表現に、誤解を生む要素がないか?
[ ] 自分が“希少”だと感じた商品に対して、なぜそう思ったのか立ち止まって考えたか?
[ ] 顧客との信頼関係を築くために、“誠実な演出”を意識しているか?

🔜次回予告:第4話「共感という取引」

“あなたのため”が、“自分のため”になるとき。 好意の心理が、選択をどう左右するのか。 渡辺が新たに出会う女性バイヤーとの駆け引きに注目。

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